学生支援サークルのみんなで合宿に行ってきた☆

この土日で、大学の学生支援活動を行う学生たちの合宿があった。

 

私たちのところでは、大学のサークル活動として学生が自主的に行っているが、

大学の下部組織として活動しているところと同じように事務の意見が尊重されるので、

普通のサークル活動と変わりなく自由にできるわけではない。

 

文化系と体育系に並ぶ第3のサークル連合として、学生支援とボランティアのサークルが計7団体在籍していて、合宿には40名以上の学生が参加した。

正直、他の団体の下級生どうしは、合宿が初めましてである。

 

県内のオートキャンプ場のコテージに泊まり、夜はバーべキューをして3000円で参加できるのだから、学生にとってはおいしい話だと思う。

 

今回3回目となった合宿では、今までで一番いい形の合宿ができた。

もちろん、発展途上であって改善していく余地がいくらでもある。

 

私は初代の連合会会長だった。私が、7団体が書類上だけで共同していて、実態がないことを疑問に思って、執行部をつくろうと言いだして今の活動の形になった。

今の執行部(ここが合宿を行ってくれている)のメンバーは、「これからの連合会の未来はどこへ向かっていくのだろう」と言って夜を明かして話し合ってくれていたらしい。(大学のお金でコテージを借りた甲斐があったというものだ)

たかが2年前に私が執行部を作り、連合会を変えた。そんな浅い伝統なんて、と彼らが放棄すれば執行部のメンバーは楽になれるのかもしれない。

先輩から後輩に教育しても、教職員が関わることなく放置していては、学生支援は形だけになって理念を失って活動の基準は山道を転がり落ちるように下がっていく。

教職員との距離が、執行部のメンバーを追い詰めていると言っても過言ではない。

 

そんな現実を目の当たりにしながら、わたしは卒業していくのだ。

 

もっと彼らに残してやりたかった。なんでもいいから残せるような人間で在りたかった。

彼らが四苦八苦して、現状を維持しよう、変えよう、と努力しても、無理なものは無理だ。

それをわかってて見て見ぬふりをする大人、どうすることもできない大人、今が最善だと割り切る大人、いろいろいる。

学生支援は実績になる。けど、研究がしたくて大学に入ってる教員と事務として働く職員に囲まれて、誰が学生支援を指導してくれるというのだろう。

活動が維持できなくなる時だけ、声を大きくするような大人もいる。(私たちのところは、まだそこまでには至っていないが)

彼らの言い方はいつも、規則は規則だから無理なものは無理と言って、学生に投げるばかり。学生のやる気、成長、取り組む姿勢は関係なく、大学が困らない範囲で成果にできそうなことをやってくれるかどうかを見ているんだろうと思われても仕方ない。

幸い、今は学生支援を熱心にやってくれる方がいるが、今年度いっぱいでいなくなる可能性が高いので、来年度以降は要注意だ。

 

そんな現実を目の当たりにしながら、わたしは卒業していくのだ。

私が残してやれたものなんて、大学にとっていいことであって、後輩のためになっているのか疑問に思う。申し訳なく思う。

 

だから、こうやって全国のFDに発信している。

大学の壁を越えて、苦労も感動も分かち合うことのできる場所を残せたら、彼らの力になる時があるんじゃないかと思っている。

 

なぜこの学生は大学に来たんだろう...①

大学生は勉強しない。

この認識が完全に常識となりつつある。

 

例えば、私の知っている学生にはこんな人がいる。

 

5回生、3年生。大学の授業を難しいと思ったことはないため勉強はしないが、

なぜか毎年、必修の単位が出ない。

 

彼は、工学部でも最難関の学科に合格しており、学科名だけを聞くと勝ち組と認識される。高校生のころは、さして勉強したわけでもなかったらしい。

大学の授業を難しいと思ったこともなければ、本大学の学生はたいていつまらないやつばかりだと言う。

 

そういう彼だったが、実は学生支援の団体で活動していた。

 

団体では幽霊部員の扱いに近かったのだが、たまにミーティングに出てはいつも参加していますというような顔で意見を言っていた姿が印象的で、メンバーからは呆れ半分あきらめ半分で見られていた。

その後、学生支援の団体はなくなり、今では学外の活動に顔を出している彼。

いつも鋭い意見を言ってくれるのだが、周りの反応は学生支援の団体にいた頃と変わっていなかった。

 

そして、鋭い意見を言えるのは、責任を負わないからだと、私は結論を出した。

 

彼のことをみんな、遠巻きに呆れ半分で見ている。彼の将来を本気で考えてくれていた人たちもあきらめて去って行った。

彼が自分と向き合って必修の単位を取ってくれるまで、どれだけの時間を費やすのだろう。

京都工芸繊維大学のポテンシャルが高すぎる

先日、大学院生でありながら、オープンキャンパスに参加してきました。

妹の第1志望校である京都工芸繊維大学さんに行ってきました。

 

長くてわかりづらい名前と、京都にはレベルの高い大学がひしめいている事もあり、

私が受験生の頃には全く意識していませんでした。

 

オープンキャンパスに行って見てびっくり!

これが単科大の力なのかあああ、とため息が出ました。

最初、開会で学長がおっしゃった

卒業までにtoeicのスコア730点達成。(もちろん全学生)は、かなり衝撃的でした。

 

また、主に4つの理由があります。

 

①教職員が教育に対する意識が高い

②施設が充実している

③変な見栄をはろうとしない

④学生支援活動の活発さ

 

厳密にいえば、4つどころではないかもしれませんし、

4つも分けておいて本質がわかっていない!と言われそうですが、

受験生にとっては、この4つの観点に分かれると思います。

 

一つ一つに言及すると長くなりますので、

京都工芸繊維大学の背景から主たる理由を述べると、

国から自立した責任ある、次世代の大学の姿を呈示していることです。

 

単科大ですので、総合大学で見られる学部間の争いや格差がありません。

大学は研究に力を入れるところが優れている、教育に力を入れるところがその次、地域貢献に力を入れるところは下、という社会一般で思われているイメージに固執したりしません。

 

京都工芸繊維大学の進む道は、日本の大学が進むべき道の一つです。

しかし、こうしたモデルケースを形だけで真似ようとしていると、足元を掬われます。

この大学で出会った教授の言葉の受け売りですが、

「大学のアイデンティティ」を失ってはなりません。

 

岡山大学i*Seeで見たSweeTFooDの魅力

先週、国立岡山大学で行われた学生FDの集い「i*See」。

大学改革に関わって4年の今年、初めて参加することができました。

 

驚いたのは、学部1,2年生を中心としていながら、企画力、行動力、気配りのどれもが素晴らしかったです。

私たちの大学は完全に負けた・・・・と打ちひしがれる一方で、

ある意味それも自然な流れでして、岡山大学立命館大学は学生FDの二大巨頭なのです。

 

ここでは、たくさんの学生FDメンバーと出会いました。少なからず教職員の方も参加されていました。教職員の方が来て下さることは、とても希望に感じました。

 

なぜかというと、学生FD活動において大事なことは2つあって、

学生の自主性、

大学の事情を抱えた人によるFD教育が欠かせません。

この両輪が回らなければ学生FDに発展はありません。大学の事情を抱えた人(=教職員)によるFD教育がなければ、後輪のない自転車のようになってしまいます。その自転車は走りません。つまり、学生FDは育ちません。

 

学生の自主性という言葉で、放置プレイにしておいて学生に全責任を背負わせる学生FD活動は、もはや発展がありません。最近の学生は、リスクを感知する能力に優れていますので、絶対に近づきません。続いているとすれば、一部の献身的な学生の自己犠牲の上に成り立っています。持続可能な発展はないでしょう。

 

そんなことを思いながら、i*Seeで出会う一人一人がかけがえのない仲間であることを実感しました。学生FDは、狭い業界です。

岡山大学さんのこの取り組みは、全国の大学の希望となっていることは間違いありません。

末長く、SweeTFooDさんの発展がありますことを、願ってやみません。

学生FDよ,大志を抱け(Student FD, be ambitious.)

来月、学会発表が控えている大学院生です。

今回は私がこのブログを始めることになった経緯をお話しします。

 

私は、第1志望だった筑波大学に落ちて、今の大学に入った後期組みです。

一般的に、どの大学においても後期組みは「優秀だけども自分の大学に期待していない、もしくはなめている」傾向があるとされているカテゴリーです。大学のランクや特色にも寄りますが・・・

自分の希望通りではないのだから、第1志望だった大学と比べてしまう方が多いのでしょう。

 

大学の勉強だけで物足りないと思う方は多いですが、自分から動いていこうと前向きに取り組む学生と、ふてくされるだけで動き始めれない学生に分かれます。

自分から動いていこうという学生の中にも、①大学の中で成績優秀者をめざす、②課外活動で社会人と関わりを持つ、③編入、再入学に向けて猛勉強をする、など、多岐に分類できます。

 

私は、学内での活動に力を入れてきました。高校時代から、日本の大学のアカデミズムについて学び、考え、日本の大学がこのままでいいはずがないと思っていたからです。

図書館を学生目線で盛り上げよう!」という活動、「学生の学生による、学生のための学生支援」、「学生目線の大学改革」など、多くの活動に関わってきました。大学の教職員の皆さんに本当に良くしてもらってきました。

 

学部1年から関わり続けてM1となった今は、学生というよりは職員さん目線に近くなっていると思っています。

 

一通り図書館協働、ピア・サポート、学生FDについて触れ、思い通りにならないことに歯を食いしばってきた事も多かったです。

誰のせいとも言いません。実際に、誰のせいでもないのです。

しかし、教育・研究の水準、学生からの評価、不祥事、教職員の待遇、どれも悪くなっていきます。放っておいたら、日本の大学は人を生かす教育ではなく、殺す教育に変わっていきます。

 

学生FDには、大学の未来を、ひいては国の未来を憂える方がたくさんいらっしゃいます。けれど、狭い学内には理解してくれる人は限られています。大学の壁を越えて仲間を見つけて行きたい、そんな願いからブログを始めました。

学生に限らず、大学の未来を憂えながらも学内で無力さを噛み締める全ての人に向けて、クラーク博士の言葉から少し変えてみました。

 

学生FDよ,大志を抱け(Student FD, be ambitious.)